令和6年1月17日(水)東アジア歴史・中国語コースの1年生が歴史学入門の授業で島内巡検を行いました。訪問先は8箇所です。1:興(こう)神社。原の辻が活動を停止して古墳群ができるまで空白の期間が壱岐にはあります。その古墳時代に壱岐に国府があったと考えられており、興神社の興が国府(こう、こふ)の意味ではなかったか、あるいは、国府の倉の鍵「印鑰(いんにゃく)」を保管していたことから興神社を印鑰神社とも読んでいたことがその根拠のようです。2:覩城(とじょう)跡。平氏の乱で源義朝の首を取り、恩賞として壱岐を与えられた長田忠致(おさだただむね)による築城と伝えられています。何度も発掘調査が行われており、ベトナムの陶磁器など貿易陶磁器が多数出土しています。3:兵瀬(ひょうぜ)古墳は壱岐古墳群として国指定史跡に登録された壱岐島最大の円墳です。4:百田頭(ひゃくたがしら)5号墳。入口に2つの線刻画あります。壱岐には双六・兵瀬・鬼屋窪・山ノ神・大米・永田12号と7基の線刻画があります。5:百田頭6号墳。百田頭古墳群は巨石古墳ではありませんが、双六などと同様に、ドーム状に石を積み上げ、小さな入口からは想像できない広い石室を持っています。6:百合畑古墳群。壱岐市文化財班の田中課長補佐が調査されている、14号墳の発掘調査を現地視察しました。平成元年に復元整備された記録を元に調査されているそうです。現在、この古墳を造営する際に埋められたと考えられている羨道(せんどう)が見つかった可能性がある、という説明でした。2/4の発掘速報が一支国博物館で今回の調査も詳しく紹介されるとのことでした。7:壱岐国分寺跡(国片主神社)。礎石がある、ということは、そこに瓦葺きの構造物があったことがわかります。そして、発掘調査で見つかった軒丸瓦には平城京の軒丸瓦と同じ刻印だったことがわかっています。8:月讀神社は全国に4社ある月讀神社のルーツであるとされていることから月讀神社の元宮とされています。