昭和12年 4月29日 |
校名長崎県立長崎工業学校と称し長崎市丸尾町水産試験場内元水産講習所跡 校舎として開校(尋卒5ヶ年) |
昭和15年 4月 1日 |
長崎市上野町に校舎完成,移転 |
昭和20年 8月 9日 |
原子爆弾により一瞬にして倒壊全焼す 校長以下職員22名,生徒210名,計232名死亡す |
昭和20年10月 1日 |
大村市杭出津町元第21海軍航空廠工員養成所跡に移転 |
昭和23年 4月 1日 |
6・3・3制改革により長崎県立長崎工業高等学校と改称す |
昭和24年 5月20日 |
長崎県立長崎工業高等学校内に定時制夜間課程を設置 長崎市立長崎商業高等学校内の仮校舎で授業開始 |
※これ以降の沿革については,定時制の沿革をご覧下さい。
長崎工業学校学年別被爆死亡数(平成19年6月現在) | |||||
出動場所 |
4年 | 3年 | 2年 | 1年 | 計 |
三菱長崎造船所 |
2人 | 1人 | 0人 | 19人 | 21人 |
三菱兵器製作所 |
19人 | 5人 | 6人 | 30人 | |
三菱電機製作所 |
5人 | 26人 | 31人 | ||
川南造船所 |
2人 | 1人 | 3人 | ||
食料営団防空壕作業場 |
12人 | 29人 | 41人 | ||
松山町建物疎開作業場 |
25人 | 25人 | |||
九州配電 |
1人 | 2人 | 2人 | 5人 | |
電信工事局 |
8人 | 8人 | |||
長崎電鉄 |
7人 | 7人 | 2人 | 16人 | |
松山鉄工所 |
1人 | 7人 | 8人 | ||
九州合同硝子 |
1人 | 10人 | 11人 | ||
門鉄長崎管理部 |
1人 | 1人 | |||
学校勤務 |
4人 | 1人 | 5人 | 10人 | |
合計 |
36人 | 20人 | 65人 | 89人 | 210人 |
上の写真は,本校の正門付近に設置されている弔魂碑・芳名盤・門柱です。
これらは原爆投下時に本校の校舎があった現長崎南山高校の地に設置されて
いましたが,平成19年1月,本校の創立70周年記念事業の一環として
移設建立したものです。