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長崎縣立長崎工業學校の沿革

2016年11月28日更新

長崎縣立長崎工業學校 沿革

 昭和12年 4月29日 

 校名長崎県立長崎工業学校と称し長崎市丸尾町水産試験場内元水産講習所跡 

 校舎として開校(尋卒5ヶ年)

 昭和15年 4月 1日 

 長崎市上野町に校舎完成,移転 
 (現 長崎南山高等学校の地) 

 昭和20年 8月 9日 

 原子爆弾により一瞬にして倒壊全焼す 

 校長以下職員22名,生徒210名,計232名死亡す 

 昭和20年10月 1日 

 大村市杭出津町元第21海軍航空廠工員養成所跡に移転 

 昭和23年 4月 1日 

 6・3・3制改革により長崎県立長崎工業高等学校と改称す 

 昭和24年 5月20日 

 長崎県立長崎工業高等学校内に定時制夜間課程を設置 

 長崎市立長崎商業高等学校内の仮校舎で授業開始 
 (現 長崎県立総合体育館の地) 

※これ以降の沿革については,定時制の沿革をご覧下さい。

原子爆弾被爆について

長崎工業学校学年別被爆死亡数(平成19年6月現在)

 出動場所

4年 3年 2年 1年

 三菱長崎造船所

2人  1人  0人 19人 21人

 三菱兵器製作所

19人 5人 6人   30人

 三菱電機製作所

  5人 26人   31人

 川南造船所

2人 1人     3人

 食料営団防空壕作業場

    12人 29人 41人

 松山町建物疎開作業場

      25人 25人

 九州配電

1人   2人 2人 5人

 電信工事局

    8人   8人

 長崎電鉄

7人 7人   2人 16人

 松山鉄工所

    1人 7人 8人

 九州合同硝子

1人   10人   11人

 門鉄長崎管理部

  1人     1人

 学校勤務

4人 1人   5人 10人

 合計

36人 20人 65人 89人 210人

弔魂碑について

弔魂碑 写真

芳名盤 写真

門柱 写真

上の写真は,本校の正門付近に設置されている弔魂碑・芳名盤・門柱です。
これらは原爆投下時に本校の校舎があった現長崎南山高校の地に設置されて
いましたが,平成19年1月,本校の創立70周年記念事業の一環として
移設建立したものです。

 

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