8月7日(木)の午前中、本校の2年生、パブリックワーク歴史・文化班が鯨関連の史跡巡検を実施しました。
まず、鯨賓館ミュージアムを訪れ、新上五島町文化財課の永田様、宗様に現在取り組んでいる鯨関連史跡マップについてアドバイスをいただきました。
この班では、上五島の史跡について調査し、史跡の規模が小さく、ガイドの方がいないと満足した情報を得られないことなどに注目し、
ガイドの方がいなくても史跡の情報等を得られるよう、Google mapのマイマップ機能を用いてスマホで見られる史跡マップの作成を目指しています。
特に有川の捕鯨関連の歴史や文化については、その担い手の高齢化に伴い、急速に失われつつあります。
そこで、捕鯨の歴史・文化の継承のため、鯨関連の史跡マップの作成に取り組んでいます。
本日はいくつかの捕鯨に関する史跡を巡ってきました。
残念ながら雨天ですが・・・(引率教員は晴れ男なのですが?)
鯨賓館ミュージアム前のノルウェー式捕鯨砲。
先端に爆薬を入れて、鯨に刺さると銛先が開き、外れにくくなるようです。
こちらはクロー。捕まえた鯨を母船に引き揚げる際に使用されたもの。
こちらは海童神社。ナガスクジラの顎の骨でできた鳥居があります。
現在は恵比寿様と龍神様が祀られているようです。
昔は海童神を祀る拝殿があったそうなのですが、
現在は有川神社に合祀されているです。
次に鯨見山展望台。江戸時代には鯨を発見するための物見小屋が置かれていたようです。
有川湾及び有川の街並みが一望できる場所でした。鯨がいないか目を凝らしましたが、発見できませんでした。
その横には鯨の供養塔が置かれていました。
有川鯨組を組織した江口甚右衛門正利によって建てられたことが記されています。
供養碑自体はかなり摩耗して読みづらくなっていましたが、横に翻刻された碑文がありました。
鯨見山を下ると、その直下に横浦捕鯨基地がありました。
ここに鯨を追い込んで引き揚げ、解体をしたようです。
そして、兜岩(かぶといわ)です。
不思議な形をしていますね。
そして弁財天宮。
江戸時代に有川と魚目の間で漁業権をめぐる境界論争がおこった際に、
有川の江口甚右衛門正利が江戸に直訴に行き、その際に勝訴を祈願して鎌倉の弁財天に祈願していたところ、
勝訴できたため、鎌倉の弁財天宮から分祀してもらったとか。
捕鯨業に尽力した原父子の像
江口甚右衛門正利の像と正利神社
充実した史跡巡検となりました。
こちらも史跡マップに反映していく予定です。