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世間と同調圧力(第20号)

2020年7月1日更新

長崎県立五島海陽高等学校

校 長   古川 賢一郎

世界の新型コロナウイルス感染者数は、アメリカの255万人、ブラジルの136万人をはじめ累計で1千万人、死者も50万人を超えました(6月末時点WHO発表)。国によって人口が異なるので単純比較はできませんが、他国のように都市封鎖や外出制限を行わず、政府や自治体からの罰則もない、いわゆる「自粛要請」「呼びかけ」だけで感染者数を1万8千人余に抑えている日本社会に対し、注目が集まっています。日本人の倫理観の高さ、協調性の成果であると言えますが、その背後に、法律とは別の「世間のルール」の存在をあげる人もいます。 

歴史学者の阿部謹也さんは、著書『「世間」とは何か』の中で、「世間を社会と同じものだと考えている人もいるらしい。しかし世間は社会とは違う。世間は個人の意思によって作られ個人の意思でそのあり方も決まるとは考えられていない。世間は所与と見なされているのである。世間は人によってさまざまな形を取り、普遍的な形で説明することが困難なのである。しかも情理や感性とも深い関わりかあるので、合理的に説明することが難しい。」とし、「いわば世間は非言語系の知の集積」であるとおっしゃっています。

これらは法に基づいた規範ではなく、身近な誰かによっていつの間にかつくられた暗黙の了解事項のようなもので、日本人は、社会がつくる法規範以前に、説明のつかない世間への顔向けを気にする国民性があるとの指摘です。 

感染拡大が報道されると、何者かによって飲食店に休業を要求する紙が貼られたり、県外ナンバーの車をチェックしたり、自粛が不徹底と見なされた人に対する「自粛警察」と呼ばれるSNS上での非難の動きが現れました。それは嫌がらせではなく正義感、自由な活動を不謹慎と見なす生真面目さの裏返しであるとも言えます。最近では、「新しい生活様式」が家庭、職場、学校でも「推奨」されていますが、もともと生活様式とは長い年月をかけて形成されていく「文化」です。それが3密を防ぐ工夫やアイデアの紹介であれば良いですが、何者かによって強要され、不徹底と見なされた人への監視と圧力によって、人へのいたわりが奪われてしまっては何もなりません。 

ある新聞記事に、「遠隔授業の環境整備が急務」との一文がありました。「日本では対面の授業が重視され、ICT化は進んでいない」とされ、ネット環境のない家庭への配慮や教職員のノウハウ不足、端末機器やルーターの品薄という事情に対しても、「今は国家の非常時。一部の家庭にICT環境がないからオンライン授業をやらないのは大きな間違い」だとされ、記事は「第2波に備え、あらゆる機器の活用が急がれる」と結ばれていました。正論なのでしょうが、この問題の核心である対面授業の重視、オンライン授業を受けている生徒と受けていない生徒との学力差の分析や環境整備の手順について、落ち着いて話し合う雰囲気が失われていくことを危惧します。

 哲学者の仲正昌樹さんは、「暗黙に想定する自粛の基準からどうしてもはみ出す人にどこまで寛容になるべきか。私たちの他者に対する想像力も試されている」「どういうリスクなら許容可能か、日本に生きる全ての人が想像力を働かせ、議論しなければいけない」とおっしゃっています。キーワードは、「寛容(許容)」と「想像力」です。

 人は危機に追い込まれると、思考が単純化し結論を急ごうとします。危機の時にゆっくりと議論している暇はないからです。かつて戦時中の日本では、反対意見を述べた人が「世間の圧力」により非国民扱いされ、言論の自由が失われた経験を持っています(山本七平さんは、戦艦大和の出撃は無謀と断ずる細かいデータや根拠があったにもかかわらず、最終的に議論を拘束したものは「空気」だったとし、その研究を行いました)。

「今は国家の非常時」「こんな時に不要不急のことを言うな」「生き抜くこと以外は考えるな」の合唱で多様な意見がかき消されないよう、このような時だからこそ、寛容性と想像力を失わないようにしたいものです。大切なのは、自分の頭で考えることと、言葉を大切にすること。それが、私たちが歴史から学んだ教訓です。

 

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