長崎県
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幸福と生きがい(第12号)

2019年7月22日更新

長崎県立五島海陽高等学校

校 長   古川 賢一郎

昨年度、本校では学校を挙げてふるさと五島に関する探究活動を行い、2月の海陽発表会でその成果を披露しました。どの学年や系列も魅力ある取組を市民の方々に観ていただきましたが、たくさんの発表の中で新聞に取り上げられたのが、3年人文・自然系列が取り組んだ、「島に暮らす人は幸せなのか?」というテーマに基づく高齢者の生きがいについての研究でした。それだけ「幸福」や「生きがい」は、皆が関心を寄せる、人が生きていくうえで欠かせないものであることの現われでしょう。

 ハンセン病療養施設長島愛生園で、病の中で生きる意味や将来への目標を失っていた患者と接していた精神科医の神谷美恵子さんは、著書『生きがいについて』の中で、生きがいの特徴を次のように考えられました。

(1)人に生きがい感を与える。(2)生活上の実利実益とは必ずしも関係ない。(3)「やりたいからやる」自発性。(4)全く個性的なもの。(5)人の心に一つの価値体系を創る。(6)人の中で伸び伸びと生きることができる独自の心の世界。

つまり生きがいとは、全く自由に思うままに自分の世界を作り出し、それが人に影響を与えたり自分自身が変化し成長することで、今自分は生きている、存在していることを感じられるもの(またはその対象)であると言えます。それで人から注目されたり、共感(「いいね!」評価)されればさらに良いでしょうが、それが犯罪でもない限り、人から「何でそんなことが好きなの?」と眉を顰められても構わない。そして、それが義務的なこと(仕事、学業、育児、家事等)と一致していれば、こんなに幸福なことはありません。

生きがいや目標は幸福感を醸成する具体的かつ重要な要素で、達成する方が良いに決まっていますが、しかし、それがない人が不幸だとは必ずしも言えないでしょう。良い進路先や職業に就く、金持ちになることや社会的地位を得ることは目標にはなっても、それが達成されたことが(もちろん嬉しく充実感は得られますが)幸福と同じだとは思えません。「苦労」「無償」「献身」の中にも喜びを感じることはあります。

 古今東西、「幸福とは何か」について多くの人が考察してきました。イギリスの哲学者J・ベンサムのように、人間にとっての幸福を「快楽」=「善」と定義づけ、その構成要素の数量化を試みた人もいましたが、定説にはなっていません。ある意味当然のことで、それは一人ひとりが考え追求すべきものです。その中で、イギリスの思想家B・ラッセルは著書『幸福論』の中で、不幸を避けることで幸福に近づくという考え方を提示しました。ラッセルは、不幸に陥る要因として空しさの感情、競争、退屈、疲れ、(人との比較から来る)妬み、罪の意識(自虐)、被害妄想、世評へのおびえを挙げ、そこから離れること。そして幸福をもたらすものとして、熱意、愛情や安心感、家族、仕事、私心のない興味、努力と諦めを挙げています。それに照らすと、昨年カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した『万引き家族』で描かれた一人ひとりは、過去に傷を負い貧しく反社会的行為によって生計を立てていましたが、血の繋がらない「息子」祥太が補導されるまでは確実に「幸福」でした。

 五木寛之さんは、『人生の目的』の中で、もともと人生に目的があるのかと問いかけ、勢古浩爾さんも『人生の正解』で、普遍的な生きる意味などない。人生には無数の正解があるとおっしゃっています。「そんなことは人それぞれで勝手に考えればよい」「答えのないものを探すだけ時間の無駄」と言ってしまえば身も蓋もないですが、ラッセルが提示した不幸や、勢古さんが述べている不正解の人生(損得だけ考える。できるだけ金を払わない。責任は負わない。言い逃れる。屁理屈を言う。自分は正しいと言い張る。地位の高いものに擦り寄る。立場によって言う事を変える。平気で嘘をつく。弱い者に威張る。の中から3つ)を避ける考え方は、冒頭の「島に暮らす人は幸せなのか?」の答えに近づく上で参考になると思います。

 

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