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自明性を問う(第22号)

2020年9月11日更新

長崎県立五島海陽高等学校

校 長   古川 賢一郎 

先日新生徒会長、副会長を選出するための立会演説会と投票が行われ、もうすぐ新しい執行部が誕生します。

さて、去る6月に行われた生徒総会は新型コロナウイルス感染防止のため体育館には集まらず、放送による説明とクラスごとの討議という形で行われました。初めての試みでしたが、事前のアンケート集約を始め充実した資料ができていたことと全員の協力で、総会にふさわしい時間になっていました。生徒が分散していたため全体討議はできなかったものの、現執行部の活躍もあり、一人一人の意見がよくわかりました。その総会後に提出された意見の中に、「なぜ○○はいけないのか」という形の、校則に対する是非を問うものがありました。 

校則は、法的には営造物の利用規則と解されており、法律に特別の規定がなくとも制定し、利用者(生徒)にそれを守ることを指示し、指示に反する利用者には懲戒を加えることができるとされています。その根拠としてあげられているのが、学校は一般市民社会とは異なる特殊な社会を形成しているという考え方(部分社会論)で、もちろん社会常識に過度に反するものはいけませんし健全な市民感覚は必要ですが、法体系に完全に合わせる必要はない自律的な権能を持つものだと捉えられています。

これらの問題については、2つに分けて考えてみてはどうでしょう。その意見や質問が一般論として出されている場合と、自分(クラス)の切実な問題として出されている場合です。 

極端な例を挙げます。

「なぜ人を殺してはいけないのですか」。20年以上前、ある生放送の討論番組の中で一人の青年が突然発した問いに、パネラー席にいた”知識人”と称される人たちは、慌てていくつかの理由らしきコメントを発しましたが、青年の心には届いていなかったように見えました。その問いに対しては、「いちいち回答してあげる必要はない」「自明の理であり、そんなことを考えること自体、人ではない」「論理では答えられない領域」と議論を打ち止めするのが正しいのかも知れません。

子どもが突然思いついた素朴な疑問のように、「誰がいつ決めたの?私たちは動物の命をいただいて生きているのに、なぜ人間の命は奪ってはいけないの?ならば死刑制度があるのはどうして?戦争はなぜ続いているの?」といった形のものと、「どうしてもこの人だけは許してはならない。皆が不幸になっているのになぜ何もできないのか」といった個の事情を背景にした問いかけでは、答え方が変わってきます。

苫野一徳さんは『初めての哲学的思考』の中で、まず、哲学的に絶対に正しい当為などというものはない。だから、人を殺してはならないという当為も絶対に正しいというわけにはいかないとし、その上で、「それでもなお、この現代社会において、僕たちは人を殺してはならないという当為を大前提として認めなければならない。それは、この原則が、僕たち人類が長い争いの末に掴み取った“ルール”だからだ」と結んでいます。

鷲田清一さんは、『死なないでいる理由』の中で、この類の問いは、「殺す対象の顔が見えないときに発せられるもの」であり、それ以前に人は、時には正義の名の下にテロや戦争、人工中絶で夥しい数の人を殺してきたという事実がある。同時に、時に殺したいと思うのに殺してこなかったという事実もある。自分が殺傷されるときの恐怖は理屈以前のものであり、「殺されたくないから」という心理的な理由からでは、人は、何かを殺めること自体が悪であるとする根拠は示せないだろうと書かれています。あらゆる生き物は他の生き物を殺さずには生きていけないのに、「なぜ無理をしてまで人を殺さないことを強くよしとする文化を育んできたのか」を考えるべきだとしています。

小浜逸郎さんは、『なぜ人を殺してはならないのか』の中で、この問いが質問者の本当に切実な必要から絞り出したものでなく、何気ない素朴な気持ちから発する質問のようであれば、「それは大事な決まりとなっているからで、この決まりを破ってもいいことになると皆が互いに殺し合いをするようになりかねず、社会がめちゃくちゃになってしまうからだ」という回答で十分だと書かれています。

佐伯啓思さんは『自由とは何か』の中で、「なぜ人を殺してはならないのか」と聞かれれば、我々は多少狼狽しながらも、「そんなことはだめに決まっている。理由も何もない」とつい言ってしまうだろう。実際それ以外に言いようもない。功利主義に照らすと、多くの人の幸福のために殺さなければならない存在がいた場合説明がつかない。これは説明を要する問題ではなく、カントが言う無条件で守らねばならない道徳法則が存在しているからだと述べています。 

著名な学者が皆、このような一般化された問いに対しては、全員が納得するような論理は存在しない(説明できなくともよい)と言われていることは、神から示され『旧約聖書』に書かれたモーセの「十戒」や会津藩で子どもたちに暗唱させた「什の掟」のように、無条件に体に覚え込ませる世界も大切にしなければならないことを裏付けています。 

「高校生はこうあるべきだから」といった一般化された形の理由付けは、対象を広げるほど主観が入り込み、答えが見えなくなります。それは「自由」とは何か、「自由」を追求した先には何があるか、倫理や道徳の起源と系譜について深く考えることと表裏一体です。その考察の時間は、決して無駄ではありません。

 

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